担当教科について
言語への「気づき」
英語 / 渡邊 聡大
Q1 担当教科に興味を持ったきっかけを教えてください。
英語との出会いは、と思いを馳せると小学生の高学年の時まで遡るでしょうか。当時の私は車に興味を持っており、ひたすら車種名を覚えていました。今も当時も車の名前は英語が基本。名前を記憶し、ノートにそれらを書き出すなどして遊んでいました。車種名を覚えて表記しようと思うと綴りを覚えなくてはなりません。Laurel、Soarerなとどいう綴りも当時から書けました。覚えていくうちに、その言葉には意味がある、と知った時、これらの単語は単なる音を表すものではなく意味があるんだ!、と感じたのが英語という言語との出会いだったのだと思います。
その意味と車の性能や外観は全く無関係でしたが、意味を帯びたその単語から、この世には日本語ではない言語が本当にあるんだ、という実感を得たのを覚えています。
中学時代は単に英語が比較的得意なだけでしたが、高校に入学してからは、当時、主流だった「読む」活動が中心であった英語の授業を受けていくうちに、元々本が好きだった私は英語の物語を読んでいく面白さにとりつかれました。一読しただけでは、頭に容易には入ってこない内容が、自分の持っている知識で推論したり、辞書を開いて調べていくうちに霧が晴れていくように理解できていく。あの感覚がたまらなく好きでした。
当時の私にとって、英語は文章の書き手とのコミュニケーションをとるためのツールだったのでしょう。これが大学での文学研究に繋がっていきます。文学を研究するというのは、英語で文学を読むことと同義ではありませんが、それなしではあり得ないのも事実です。そんな出会いで私は英語を生業とする道を歩み始めました。
Q2 担当教科の魅力を教えてください。
英語を学習すれば、英語使用者とコミュニケーションがとれる。これは言うまでもなく英語という教科の大きな魅力です。言語はそのためにありますから。それゆえ英語が世界を広げる、という言説は正しいのです。しかし、今は英語がなくても世界を広げることはできるのも事実です。任意の言語を、自動で他の言語に翻訳する技術は凄まじい勢いで開発が進んでいます。英語を学習しないと世界が広がらない、という単純なものでもなさそうです。
私は言語を学習することで得られる気付きというのが、言語学習を通して得られる何にも代え難いものだと考えます 。それは母国語、私で言えば日本語への新たな眼差しです。自分のそばにあるものについては、それとは同種の異なるものと比べないと知ることができません。自分達の母国語を客観的に眺めるには英語に限らず外国語の学習が必須です。我々が日本語というものを客観視できているのは、外国語学習によるところが大きいのです。日本語は母音の数が5つしかない、名詞の単数・複数の概念が比較的緩やか、などいう陳述は外国語の存在があって成り立つものでしょう。
そこからもうひとつ話を進めると、 英語のような自分にとって「不自由」な言語を使って自分を表現したり、その言語で書かれたものを読んだり、その言語を聞いて理解することに習熟していくことは、言語を使った意思疎通のためのストラテジー、すなわち言語を使って自分の言いたいことを伝える方略、また相手の意図する内容を効率よく理解するための方法に熟達するのに役立つのではないかと考えています。母国語であれば雰囲気やニュアンスでなんとなく通じる、という感覚は確かに正しいのかもしれない、でも本当は伝わっていないかもしれない。お互いがお互いを不充分に了解しているだけかもしれないのです。外国語で理解したり、させたりということの経験を重ねるうちに、言葉を使って何かを伝えるということがいかに難しいか、言い方を変えれば、どのような点に気を配るとものを伝えることが容易くなるのか、がわかってくるのではないでしょうか。
言葉に自覚的になれる、これこそが英語という教科を通して得られる大きな収穫だと思います。
英語 / 渡邊 聡大