担当教科について
想像力をもって様々な可能性に思いを馳せる
国語 / 中村 陽一
Q1 担当教科に興味を持ったきっかけを教えてください。
単純な答えで申し訳ないのですが、本が好きだったからです。小学校に入る前からよく読んでいました。そういえば、父が買ってきた椎名誠さんの『白い手』を、父より先に読んでしまって小言を言われたことがありましたね。それくらい本が好きだったんです。だから、小学校でも国語が自然と一番好きな教科になっていました。
それと、中学二年生の時から二年間教わった国語の先生の影響が大きいです。中西先生という女性の先生だったのですが、とにかく授業が面白かった。それは授業をする先生がいつも楽しそうだったからだと思うのですが、先生からは、小説の面白がり方とか、もっと言うと人生の面白がり方みたいなことを学んだような気がします。その頃から、国語を専門的に勉強してみたいなと考えはじめていたように思います。
Q2 担当教科の魅力を教えてください。
「これが国語の魅力だ!」と言い切ることはなかなか難しいのですが、現在担当している学年の生徒たちに話したことを二つあげてみたいと思います。
一つは「国語を勉強することで、自分の世界が広がっていく」ということです。
最初の授業では、生徒たちに「我々は混沌とした世界を言葉によって分節化することで秩序あるものとして認識している」「世界は言葉でできている」「言語によって見える世界は違ってくる」なんてことを具体例を用いながら説明した後で、「だから、国語の授業で色々な言葉を覚えたり、様々な人の考え方や、ものの見方を知ったりすることは、自分が見ることができる世界を広げることになる」と話します。自分が見える世界は広がれば、それまで気がつけなかった物事の面白さに気がつけるようになる。日常がより彩り豊かなものになる。今まで気にも留めなかったようなものが、輝いて見えるようになる。もちろん国語に限ったことではないですが、勉強を続けていく中で、ふと世界の新しい魅力に気づくようなことがあります。そんな瞬間にたくさん立ち会えることは幸せなことだと思います。自分にとって面白いな、魅力的だな、と思える事象が身の回りに多く存在することは、そうでないのに比べて幸せなことですよね。だから私は「国語を勉強すると幸せになれる」とまで言うようにしています。少し大げさですかね?
もう一つは、国語が「文学」という芸術を扱う科目であるということです。
二月に村上春樹さんが上梓して話題になった『騎士団長殺し』(新潮社)の中で、絵画『騎士団長殺し』は、「本当には起こらなかったが、起こるべきであった出来事」(原文ママ)を描いた作品だとされていました。本校のワークショップも担当してくださっている演出家の田野邦彦さんは、ご自身が演出された公演のパンフレットに「演劇を含めたアートの存在意義は、私たちの周りに常に異なる可能性、新しい可能性があることを教えてくれることにある」と書いていました。小説を読むこと、古典の世界に触れること、国語を勉強することも、「現実には常に別の可能性がある」ということに思いを馳せる行為だと思うのです。世の中には様々な人がいて、ものごとには多様で多彩なあり方がある。「文学」という芸術を扱う国語の魅力は、想像力をもってそんな様々な可能性を拾い集めていくことにあると思っています。
国語 / 中村 陽一