中学総合講座②
2011.02.18
第二回目となる2月10日は、編集者の押田信子さんに来ていただきました。押田さんは、写真・料理雑誌などの編集者として出版社に勤務後、独立され、フリーの編集者、エッセイストとして多数の本の執筆、編集に携わりました。一方で、生涯現役で学び続けたいとの思いから、近年、社会人大学院入試にチャレンジし、上智大学大学院修士課程を修了後、現在は横浜市立大学大学院博士課程で、引き続き研究を続けられています。
押田さんは、人生の三つの転機を軸に話をしてくれました。
一つ目の転機は、大学卒業後に出版社にお勤めになって、編集の仕事をはじめた時です。 当時は雑誌の黄金時代で、当時編集していた料理雑誌『cook』は、写真を大胆に取り入れた作りもさることながら、バッグに手軽に入り、料理を作るときも邪魔にならない大きさが、女性中心に評判を呼び、発行部数は80万部を数えていたそうです。押田さんが当時の雑誌を実際に示しながらする話を、生徒たちは興味深そうに聞いていました。
二つめの転機は独立して、フリーの編集者になる決意をした時です。配布されたレジュメには「フリーほど不自由な仕事はない」と記されていましたが、はじめ仕事が全く入ってこないで苦労された話を聞いて、生徒たちは、フリーで生きていくことはそんなに簡単じゃないということを、強く感じたようでした。
そんなある日、ある編集者から突然電話がきました。出版社に勤めていた時に、一緒に仕事をしたことのあったカメラマンが、雑誌の「料理ページ」を充実させることのできる人を探していたその編集者に、押田さんを強力に推薦してくれたということでした。
押田さんはその話をもとに、「人と人のつながりの大切さ」を語ってくれました。押田さんは、そのようなつながり、人脈が最終的には一番頼りになるものだし、その基本は友人関係であると言いました。だから多くの友人を作って欲しいと言いました。今、隣に座っている人と、いつか一緒に仕事をすることがあるかもしれないという言葉に、生徒たちは自分の将来を思い浮かべながら(?)、きょろきょろと前後左右の友人の顔を見回していました。
個人的にも、このお話は非常に印象に残っています。そのカメラマンが押田さんの仕事を信頼していたからこそ、押田さんに声がかかったのだと思いますし、お互い信頼できる人間関係を築いていくことが、生きていく中で重要なことなのだなあと、あらためてそう感じました。
三つ目の転機は、大学院に進学し勉強を続けようと決意した時です。押田さんは大学に戻り、近代の女流文学者で女性として初めての歌舞伎脚本家である長谷川時雨の研究をしています。時雨は、1928年に、平塚らいてふの『青鞜』の後をうけ、女性だけのオピニオン雑誌『女人藝術』を創刊し、林芙美子、円地文子などを巣立たせるなど、昭和初期に活躍した人です。
押田さんは、当時の貴重な資料を生徒たちに実際に手渡しながら、話をしてくれました。時雨直筆の書簡や、時雨が編集した雑誌を、生徒たちは驚くほど真剣に見つめており、古びた手紙や、古びた雑誌の持つ「時の洗練を経てきたものの力」を強く感じました。
押田さんは生涯現役でいるためには学び続けることが必要だと感じ、大学院入試に挑戦することを決めたと言います。学ぶことに年齢は関係ないとも言っていました。そのような姿勢は、生徒たちにとって大いに刺激となったように思います。
途中、生徒たちがあまりに静かに話を聞いていたので、押田さんは「大丈夫? あきちゃったかな」などと声をかける場面がありました。するとすぐに生徒は「大丈夫です」と声をそろえて答えていました。生徒たちはそれだけ真剣に押田さんの話に耳を傾けていたのでしょう。
以下が授業に参加した生徒の感想です。
呼んだらすぐに駆けつけてくれる仲間は大切で、僕たちの今の仲間がいずれ大切な財産になる、ということを聞いて、僕たちの今は大切だなあと思った。(中学二年)
好きな仕事を精力的にがんばる姿を見習わなくてはと思った。出版の仕事はとても大変そうなので、割と雑誌を読む自分は感謝して、そこにこめられた情熱を感じられるようにしようと思った。(中学二年)
2、3時間しか寝ないで勉強をするのはすごいと思います。やっぱり人間は本気でやろうと思えばできるものなのだろうか。(中学二年)
人生経験をつんだら勉強したくなるものなのか?と思い驚きました。勉強は嫌ですけれど、一生学び続けられるよう努力したいです。(中学二年)
同じ仕事を長い間続けていく。厳しい条件の中でも、編集者の仕事をやっていく。その熱意、仕事を決めるときの決意は、とても強いものだったのだろうと感じた。(中学三年)
ここに書ききれませんでしたが、押田さんは、出版社の編集者時代、フリーの編集者時代、大学院時代について、数々の具体的なエピソードを披露してくれました。それは、押田さんの人生を、いわばむき出しの状態で、生徒たちに示すことだったと思いますし、それは決して容易なことではなかったと思います。初めて会う本校の生徒たちに、このように誠実に向き合ってくださったことに心より感謝いたします。本当にありがとうございました。