古典芸能部「圓朝忌」参加の記

2012.08.13

落語を活動の中心に据えている本校古典芸能部。
部の顧問ゆえに内外の方々から質問を受けることが少なくありません。
その中に、「落語の起源はいつなのですか?」があります。
これについては、先代の三遊亭圓楽師匠の談ですが、とお断りしたうえで、安土桃山時代の安楽庵策伝による「醒酔笑」であるとご紹介しております。
戦乱が明けた天下泰平の世には大衆の笑いが求められたことの現れなのでしょう。元禄以降、大衆芸能として完全に定着した落語は、幕末に登場した三遊亭圓朝師(通称「大圓朝」)によって爛熟いたしました。
圓朝師は、いわゆる“言文一致体”を完成させ、二葉亭四迷らに大きな影響を与えた方でもあります。
今日でも演じられ、また落語のみならず芝居にもかけられている「文七元結」、「牡丹燈籠」、「真景累ヶ淵」などは師の創作になります。
なるほど、“落語中興の祖”とされる所以でございましょう。
師は、天保10年旧暦の4月1日(1839年5月13日)のご誕生で、ご逝去は明治33年(1900年)8月11日とのこと。
この御命日を「圓朝忌」として、社団法人落語協会主催によるご法要が毎年、師の菩提寺である谷中全生庵(写真1)にて営まれております。
この日は落語協会会長である柳家小三治師のご挨拶(写真2)と、落語芸術協会会長の桂歌丸師のご挨拶(写真3)がありました。
さて、本年、部員有志により、創部以来初めてこの圓朝忌に参加してまいりました(写真4)。
師のご遺徳を偲ぶ部員たち(写真5)。
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(写真1)
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(写真2)
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(写真3)
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(写真4)
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(写真5)


また、全生庵内には、「ムーランルージュ新宿座」支配人で、昭和21年11月2日に、本校戦後初の文化祭に同劇団を派遣下さり、ご公演に尽力頂いた佐々木千里先生も眠られております。
昨年、同劇団を調査、研究のテーマに選んだ本部の「ムーラン班」の生徒たちが同先生のご遺徳とご功績を偲びました(写真6)。
この日の全生庵では、圓山応挙ゆかりの幽霊画展も開催されており、生徒たちは一様に感嘆の面持ちで見学しておりました。
全生庵を後にし、いわゆる「谷根千」を散策。
圓朝師にあやかり、“落語上達”を祈念した部員たち。いよいよ月末は南総での稽古合宿に入ります。
(古典芸能部顧問)
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(写真6)