昭和57年卒

木村 知郎

株式会社東急レクリエーション代表取締役社長
東急株式会社執行役員文化・エンターテインメント事業部長

中途半端な3年間だから見えた世界

私がプロジェクトリーダーを務めた東急歌舞伎町タワーがオープンして間もないころ、海城生で建築やデザインに興味がある希望者を募って、内覧会を行ったんですね。そのときに、高校3年生の生徒が「卒業するまでに完成してよかったです」と話してくれて、毎日、ニョキニョキと大きくなるタワーを見守ってくれていたんだと感慨深いものがありました。新宿は、自分にとっても高校時代、部活帰りに仲間とぶらぶら歩いた街ですしね。

8階の教室から見える新宿副都心。一番左に高くそびえているのが東急歌舞伎町タワー。

 

多様性の中で貫けていない自分

海城高校は第一志望ではなかったのですが、これから伸びていく学校という印象で、前向きな気持ちで入学しました。本館はまだ木造で、海城は海軍予備校だったから、床が船の甲板を使っていると聞かされて(本当かどうかはわかりませんが笑)、古い建物でしたが、味がありましたね。当時は1学年450人くらいで、その内、中学から進学してきた人たちは100人程度でしたが、その子たちだけで固まるということはまったくなく、すぐに仲良くなりました。男ばかりだったので、遠慮するとかカッコつけるとかいうのもなく、本当に楽しかったですね。非常にガサツな3年間でしたけど(笑)。

当時は、校則がけっこう厳しかったんですよ。生活指導の先生も怖いし。エナメルの靴を履いていて、こんな格好をする先生がいるのかとビックリしました。放課後になると、喫茶店や雀荘に生徒たちがいないか見回ってらしたようで。制服についても同様で、当時は詰襟のカラーを外して着るのがオシャレとされていて、外して登校するんです。すると学校からダッシュで駅の方に戻ってくるヤツらがいる。「今日は検問やってるぞ!」と。そのまま学校に行って正直に捕まると柔道場に連れていかれるので、やっぱり僕らも新大久保駅に引き返して、山手線を一周してから登校するんです。先生に「どうして遅刻したんだ?」と聞かれるわけですが、「いや、ちょっと山手線で寝ちゃって、気づいたら一周してました」なんて見え透いた嘘をついていましたね。

一方で、ガツガツ勉強するように尻を叩かれるようなことはあまりなかったと記憶しています。そこは自分を尊重してくれたし、一人ひとりをちゃんと見てくれていたと思います。そのせいか、周りを見回すと多様性にあふれていましたね。部活をすごく頑張っているヤツ、勉強をすごく頑張っているヤツ、悪さばかりしているけど超頭のいいヤツもいましたね。みんな仲がいいんですけど、本当に多様性がある中で、自分自身は自分を貫けていないなって感じていました。勉強もたいして頑張るわけでなく、部活も辞めたり戻ったり。女の子にどう声をかけるかということは頑張っていましたけど(笑)。高校卒業まで本当に自分に自信がなく、嫌なものから逃げてしまうような青年で、いつも中途半端でしたね。ある意味、大学受験も逃げるような形になりました。受験のために、予備校に通っていたんですけど、内申点(評定平均)も取れているし、指定校推薦で成蹊大学に行きたいと考えるようになったんです。

そこで、兄に相談したんですね。4歳上なんですけど、めちゃくちゃ優秀で、小さい頃から比較されていて、いつもコンプレックスを感じていました。親戚にも一流大学出身者が多かったりで、自分の選択に自信を持てなかった。それで兄に、「推薦で成蹊大学に行きたいんだけど、どうかな?」と聞くと、「僕と比較するとか、親戚がどう思うかと考えるのは違うよ。君は君の道を進むべきだから、自分が思った道を自信を持っていきなさい」。その言葉で、他人の評価ばかりを気にしていたけれど、人は人、自分は自分、誰と比較するものじゃないとふっ切ることができました。今までの自分を少し変えてみよう。大学に進学すると、少しずつ人前で話すとか、自分から手を挙げるとか、新しい環境でリスタートしました。

 

夢がなくてもいいじゃないか

高校生の頃は、将来何になりたいとか、何もなかったですね。でも、振り返ってみても、それで困ったことはないし、夢がなくてもいいと思っています。若い頃はむしろ夢がはっきりしないからこそ、もがき苦しんで、本を読んだり、映画を見たり、一人旅をしたりして、自分って何だろうと思いながら歩んでいくんじゃないのかなと思うんです。ただ、そういうことをさせてくれる環境をつくってくれた親や先生には感謝しています。何とか物事の本質を見極めようとする力は学生時代に培われたものだと思います。

大学を卒業し就職するときには、明確な理由がありました。当時、東急グループと西武グループは時代をけん引していくような鉄道会社だったんですけれども、圧倒的に西武の方がかっこよかったんです。野球チームを持っているし、PARCOもある。一方、東急はまったくイカさなかった(笑)。よいものは持っているのに、眠れる獅子といった感じと不器用さと、地域と共に街を成長させていく誠実さのようなところに魅かれて、ここなら、大学4年間、しっかり遊びも含めていろいろな経験を積み重ねたものを活かせるんじゃないかと思ったんですね。

東急では本当にいろんな事業を手掛けているので、異動によって様々な事業を経験させてもらいました。入社して間もない頃にいた新規事業計画の部署では、当時、まだ日本に馴染みのなかったイタリアンレストランの出店を企画。当時の上司は若手が企画したものは必ず現場で運営させるという方針で、レストランのマネージャーもやりました。それから総務では、警察や消防をはじめとする様々な方たちとの対外的な交渉を。飲食事業部門の東急グルメフロントの社長を務めていたときには、TWG Teaの海外店舗第1号店を自由が丘にオープンさせたり、鉄道事業では東京メトロ副都心線との相互直通運転開始時の営業部長だったので、地下に移設した新しい渋谷駅に初電が無事に入って来たときにはホッとしましたね。その後は、SHIBUYA109の代表取締役社長に就任。開業40周年を機にリブランディングやロゴ変更を行ったり、若い人たちの声に耳を傾けるというマーケティング組織もつくりました。そして、その集大成の仕事が東急歌舞伎町タワーでしたね。

 

チームビルディングの原点

いろいろな領域の中で、常に革新的でいる、創造的でいる、そういう思いはありますが、人に喜んでもらうことが自分の喜びである、というのが生き方のベースにあると思います。先ほどお話したイタリアンレストランのマネージャーに就いたときは、入社4年目の若造でした。大学時代にもリーダーなんて自信がなかったのに、会社に入って実務として他人の生活を預かる、しかも長として。そのときに感じたのが、お客様やスタッフの笑顔が自分の一番の喜びだということ。人の喜びが自分の喜び、それが僕のチームビルディングの原点にもなっていると思います。それから、リーダーという立場を任されることが増えていったのですが、スモールサイズの組織から年を経るごとによって、サイズが大きくなっていったんです。だから、戸惑うことはなかったし、小さな成功を積み重ねた自信というのが大きくて、どこかに必ず自分ならできるという思いは持つようになっていきましたね。決められた勝利のパターンではないのかもしれないし、前回とは、また違うかもしれないけれど、常にいい仲間に恵まれてきているので、皆が進んでいく方向性をしっかり示しながら、時には引っ張っていったり、時には一緒に休んで背中を押してあげたり、その仲間と一緒に想いを共有しながら、前に進んでいくことが大切ですね。本当の自分はすごく臆病だし、人と話すのもそれほど得意じゃないし、パーティーとかも苦手だし。根本的に一人で家で映画を観たり、本を読んだりしているのが好きなんです。でも、社会が必要としているものを創り出したり、それによって多くの人の笑顔が見たい。その都度、自分を奮い立たせて、皆が共感してくれるような強い想いを持って前に進んでいきたいと思っています。

コロナ禍を経て、エンターテインメントの位置づけは大きく進化したと思っています。行動制限があって外には出られないけれど、SNS等の新しい手段で自分の好きなものを極めたいという思いは押さえきれないものがありました。そのため、以前より文化やエンターテインメントは人が動き出す大きな要因となってきたと思います。更にコロナが明けて、ここで楽しむことだけでなく、改めて仲間と想いを共有する楽しさを感じたと思います。東急のエンターテインメントは、今まで檜舞台を多くつくってきました。これからはハードだけでなく、今まで以上にパフォーマンスをする側と、それを楽しむファンの皆さんを繋げることで裾野を広げ、街づくりの大切な魅力づくりのコンテンツとして強固なものを創っていきたいと思っています。ただ、これも正解はないので、自分たちで切り拓いていくしかない。これからも、チャレンジさせていただいている喜びを感じつつ、多くの仲間と一緒に私たちにしかできないエンターテインメントシティづくりをやらなきゃいけないし、やれると思っています。

 

挫折が成長を促す

先日、大迫校長からお声がけいただき、海城で行われた加藤登紀子さんの講演会に参加させていただいたんですが、生徒さんたちの質問がすばらしかった。歌舞伎町タワーの内覧会のときも思いましたけれども、視点や感性が素晴らしいものを持っていますね。彼らには、悩んでいることに目を背けず、真正面から向かっていってほしいと思います。これからの人生では、おそらくかなり何度も挫折をすると思うんですけど、挫折をすることが大事。若いうちに挫折や失敗を多く経験して、次に同じ失敗をしないように努力する。その積み重ねの一つひとつが成長に繋がっていきます。でも、また失敗する、もう一回、失敗しないように努力する。その繰り返しによって自分の自信も湧いてくるし、人の痛みもわかるし、失敗したときの気持ちもわかるから、悩んでいる人と同じ目線で話ができる。それを知っている人と知らない人では、特にリーダーの立場だったりする場合には、大きく変わってくると思うんですよね。だから、常に挑戦することを忘れないこと。逃げるのではなく、誰と比較するのではなく、いいね!をもらうのでもなく、自分自身と真正面から向き合ってほしい。世の中、挫折をする人の方が多いんだ、そう思いながら、怖がらずに挫折を糧に大きく成長していってほしいですね。

木村 知郎

株式会社東急レクリエーション代表取締役社長
東急株式会社執行役員文化・エンターテインメント事業部長