昭和49年卒
木本 茂
高島屋ファイナンシャル・パートナーズ㈱取締役会長/㈱高島屋元代表取締役社長
未熟だった高校時代が私の原点
驚きと、憧れと。
実は都立高校にも合格していたんです。そこで、どちらかを選択するとなったとき、『国家・社会に有為な人材を育成する』という建学の精神に心を動かされ、海城高校を選ばせていただきました。
当時の海城は1学年10クラスくらいあったと記憶しているのですが、ワイワイガヤガヤとたいへん活気があり、とても素晴らしい雰囲気でした。校風も、型にはめるということではなく、生徒の自主性を重んじる感じでしたね。だからもう、いろんなタイプの人たちがいました。それこそ荒削りなタイプもいれば、勉学が好きなタイプもいる。いろいろな個性を持った人たちが自分の考え方だとかを主張するので、ぶつかることも多々ありました。それでも、個人の考え方や主張を大事にするという懐の大きさが海城の良さだと思います。先生方はご苦労をされていたと思いますが(笑)。
担任の先生はそういう個性がぶつかるような場面で、生徒たちをうまく泳がせながら、どこかで一線を越えないよう見守ってくださっていました。その一方で、叱るべきところは叱る。とても素朴で、実直で、包容力のある先生で、生徒の個性に応じて、勉強だけでなくいろいろなアドバイスをいただきました。
私は、部活動には入っていなかったのですが、仲の良い友人たちと休み時間にバドミントンをしたり、その瞬間、その瞬間で、楽しいときを過ごしていました。ですが、どちらかと言うとクラスの端にいるイメージで、クラスの人からすると、あまり目立つ存在ではなかったのではないかと思います。当時は、あまり自己主張できるタイプではなかったので、海城に入学して、同い年でこれだけ自分の考えを主張できる人がいるんだというのは、率直に驚きでしたし、気圧されましたし、憧れでもありました。もっとフラットに、フランクに自分から入りこんで、友人関係を広げればよかった。海城の懐の広さをもっと積極的に享受すれば、より有意義な学校生活を送れたのではないか。私の高校時代は未熟さが勝っていた。反省を含めて、そういう印象を持っています。
進路を考え始めたのは、高3に入ってから。海城の非常にリベラルな一方で、質実剛健な校風というのは、自分にとても合っていたので、大学もやはりそういうところで学びたいと横浜市立大学を受験しました。同校は県外からの入学者が非常に多く、いろいろな地方から来て下宿生活をしている人がとても多かったですね。私は当時、都内に住んでいましたが、大学に行くとほとんど家に帰らず、友人宅を泊まり歩いていました。高校時代に友人のネットワークをもっとつくればよかったと思っていましたので、その反動ではないですけれど、大学時代はそこにアクセルを踏んで、という感じではありました。
好きな言葉は「一枚岩の団結」
就職に際しては、自分はいわゆる事務仕事というよりは、接客を通じてお客様と接する小売業の方が向いていると思い、横浜髙島屋(現・髙島屋)に入社しました。
転機となったのは、横浜博覧会協会への出向です。横浜市制100周年、横浜港開港150周年を記念して、1989年に横浜博覧会を開催することになり、横浜市や神奈川県といった行政や、銀行や旅行会社、ゼネコンといった様々な民間企業から成る博覧会協会が組織されました。その国内出展部でパビリオンの誘致活動を担当し、名だたる企業の方々にお目にかかりました。さらに、行政や異業種の民間企業の方々と一緒に仕事をすることで、こういう仕事のスタイルがあるのか、こういう物の考え方があるのかと。一つの会社に長くいると、自分たちの仕事のやり方が正しいとなりがちなところで、目から鱗が落ちるような思いでした。この博覧会が成功したこともあり、横浜という街には非常に思い入れがあります。
また、副店長として臨んだ新宿店の構造改革も非常に印象に残っております。新宿店は開店以来、黒字を計上するのがなかなか大変な店舗でした。そこで、全社バックアップの下、構造改革に取り組むことになり、単店での収支損益を改善するために、人員を削減し、他店に再配置するという手法を取りました。優秀な人材を集中させて、少数精鋭で切り盛りしていく体制を整えたのです。おかげさまで、現在、国内17店舗中、利益ベースですと上から3番目の業績を上げています。この過程では、いろいろな計画を立案し、様々な議論をぶつけながら、実行にうつしていきました。まさに「一枚岩の団結」。私の好きな言葉です。企業は異なる考えを持つ「人」で成り立っているわけですから、組織としてどれだけ同じ方向感で仕事をできるかということが重要になってきます。今、髙島屋グループには国内で1万人ほど在籍しておりますので、そこには当然、様々な考えが存在します。その異なる意見をぶつけ合いながら収斂していく、そのプロセスがとても大事。ですから、私もなるべく機会を設けて、現場に近いところで様々な意見に触れることを心がけています。
伝統を継ぐ
私どもの会社は、「いつも、人から。」と経営理念を掲げております。これは「人を信じて、人を愛して、人につくす」こころを大切に行動するということ。そういう心を通じて社会貢献をしていく企業でありたいと思っています。それから、もう一つ『‘変わらない’のに、あたらしい。』という企業メッセージも持っています。1831年の創業から今年で187年になりますが、伝統として、例えばお客様に対するおもてなしの心等は変えてはならないものですが、一方で、目まぐるしく変化するマーケットにおいて、我々のDNAでもある「進取の精神」、新しいことにチャレンジしていくということを非常に大事にしています。現在では、いろいろなテーマで他企業とアライアンスを組んでいます。ネットワークを広げることで、内製の資源だけでは不可能なことにチャレンジできる。また、海外の、特にASEANや中国の成長力を我々企業の成長に取り込んでいく。我々の持続的な成長のためには、国内外のマーケットを常に意識して、様々な成長戦略を考えていかなければなりません。そして、それを支えるのは、やはり「人」。人がスキルや能力を高め、一つ一つの組織が活性化できるような企業体を目指しています。
周りにはいろんな個性の友人がいた
3年間、海城のリベラルな精神を体感できたこと、勉強だけがすべてではなくて、友人関係も含めていろんなネットワークを広くつくることの重要性に気づけたことが私の原点になっていると思います。いろんな個性と接する機会を通じて、着眼点や考え方の幅が広がりました。近年は東大にも数多くの合格者を輩出し、私が在籍していた頃からは考えられないくらいハイレベルな学校になっていますが、たぶん今も、単純にそういう面だけでなく、校風に憧れて志望される方もたくさんいらっしゃるのではないでしょうか。
海城生には自分の考え方をしっかり持って、主張をしてほしいと思います。決して利己的ということでなく、いろいろな考え方を持ってもらいたい。だからまずは、自分の考えをしっかりと主張する。その一方で、周りにいろんな個性の友人たちがいることを受け入れる。ある意味、包容力と言いますか、海城生にはそうあってもらいたい。また、日本だけでなく、海外にも通ずる人材に育ってもらいたいですね。いろいろな人とのつながり、ネットワークを大事にしてもらいたいです。
木本 茂
高島屋ファイナンシャル・パートナーズ㈱取締役会長/㈱高島屋元代表取締役社長