平成13年卒

尾野 寛明

社会起業家
有限会社エコカレッジ代表取締役

“何か”を求めて海原を旅する回遊魚

何かを探し求めて多忙を極めた6年間

いろいろ学べそうな予感をもって、海城中学の門をくぐりました。それから、6年間。じっとしていられず、ずっとウズウズしていました。何かを探し求めて。今になって思うと、きっといろいろと飛び回るような体験をしたかったんでしょうね。

6年間を一言で表すならば『多忙』(笑)。本当にいろいろとやりました。バスケ部、ボランティア部、軽音部。学外では、英会話を習っていました。忙しかったですけど、すべて楽しんでいましたね。そのなかで、人間関係をはじめ、様々なことを学びました。仲間と一緒に同じ目標に向かうことの楽しさであったり、自分ひとりでは何もできないということだったり。周りは個性の強いヤツが多かったので、その個性や能力の活かし方だったり。個性が強いといえば、知的なマニアックトークが通じる仲間がいたというのは、あとから考えると貴重な経験だったと思います。みんな弱っちいなりに世の中にアンテナを張っていて、噛み合わないことも多いけど一度噛み合うとすごい勢いで話が広がるなんてことがよくあった気がします。

いろんなことに手を出したことで、器用さも身につきました。何でも、ある程度はこなすことができる。器用貧乏とも言えるかもしれないですけど(笑)。基本的には、飽きっぽい性格なので、特にバスケ部は6年間、よく続いたと思います。練習も厳しかったですし。進学校だから勉強との両立が大変だったのでは?とよく言われますが、先輩たちが「勉強一本でいっても、気分転換できない。勉強するときには勉強、身体を動かすときは部活、くらいの方がいい」と言って、すごい大学に合格していく姿を目の当たりにして。そういう伝統が運動部にはありましたね。同級生の友だちも、いろんなことをしていても切り替えがうまいヤツが多くて、とても刺激になりました。

大学受験については、マーケティング・サイエンスの分野に興味があったので、その方面の学部に進学したいと考えていました。そこで、社会科の先生にいろいろと相談を。最初は、東京大学の経済学部がいいかなと思っていたんですが、先生が「あそこは筋金入りの経済学で、官僚志望の人も多い。キミには合っていないから止めた方がいい」と。それで、一橋大学の商学部に進学することになるんですが、学ぶ内容的にもピッタリでしたし、自分にも向いていましたし、先生が親身に相談に乗ってくださったおかげですね。心身面で支えてくださったのは、高2、3年時の担任。保健体育の先生だったので、受験に役立つ体調の整え方はとても印象に残っています。先生とは、今でも親交があるんですよ。

大学生で起業→海外→地方へ

一橋大学入学後、有志のサークルで何かプロジェクトに取り組みたいと考え、周りを見回したところ、『大学の教科書は高い』という問題が引っかかりまして。教科書のリサイクル販売のビジネスモデルを思い立ちました。実際に、他大学のキャンパス前に車を乗りつけて、「いらない教科書、買い取りまーす!」と上級生から買い取った教科書を、その場で下級生らに販売していたら、黒山の人だかりができ、警備員さんに怒られたりして。そこから始まり、2001年にネット通販の専門古書店としてエコカレッジを設立、文京区のど真ん中にオフィスをかまえました。

Amazonから出品依頼がきたりと、事業は拡大。2年くらいずっと会社のことを考え続けていました。そこで、少し離れた方がよさそうだと思ったのと、おそらく就職せずにこのままいくだろうという予感もあったので、一度、海外を経験しておこうと、大学を休学しインドへ。1年間、社長業はリモートワークでこなしながら、現地IT企業で働きました。最先端のインドITや、急成長の真っ只中にある国を身をもって体感できたのは大きかったです。熱気がまったく違いましたね。

帰国後、大学に復学し、社長業との二足のわらじに戻りました。大学のゼミ活動では、中小企業や地域産業振興を専攻し、島根県での地方創生事業に深く関わるように。そんななかで地域で唯一の書店が閉店してしまい、地元の人たちが復活を願っているという話を知りました。専門書の在庫の保管場所を確保したかったこと、また、父親が島根出身だということもあり、思い切って本社を島根県に移すことにしました。家賃が東京の100分の一になったのは大きかったですね。それに、東京にいて、東京都庁のまちづくり担当者と一緒に仕事をするなんて、まずできないんですけど、島根だとそれができる。町長さんや市長さんと、すぐにお会いできるんです。ここで学べる経験値は大きなものでした。

たとえば、離島の高校の問題。「生徒が減少していて、このままでは廃校になってしまう。何とかしてくれないか」と言われました。大学院に進学していたので修士論文のテーマにもするべく、なけなしの研究費をつぎ込んでマイクロバスを借り、東京、名古屋、大阪で教育に関心のある若者を乗せて島まで連れて行く『AMAワゴン』というツアーを始めました。これが後々『島留学プログラム』へとつながっていくことになります。振り返ると、このAMAワゴンの企画運営は、僕の地方創生事業の起点となっていて、ここから全国各地に出向くことになっていきます。

旅先で出会うもの

僕は、回遊魚なんです。常に旅していたい。旅の先々でいろんな出会いがあり、いろんな発見があり、そういう刺激を常に求めている気がします。その出会いのなかで、地域に何か問題があったりすると、じゃあ一緒に何とかしましょうと広がっていく感じですね。こんなとき、ふと思うのは、何が答えになるかわからない混迷と変化のなかを生き抜く力として、噛み合うかどうかわからないような興味を探し続けていた海城の雰囲気というのは、役に立っているということ。それから、企画を起こすことについても学校ですべて学んだことだと思います。問題を解決するにあたって、何かしらの提案をするわけですが、その企画を立てることって、言わば、作文なんですよ。筋道を立てて、ある程度数学的なところも踏まえながら、文章を書いていくという。企画力には恥をかく力も含まれますね(笑)。誰もやったことのないことは、本当にいろんな批判を浴びるし、うまくいけば賞賛されるし、うまくいかなければ笑いもんだし。そういうところを恥ずかしがらないでやることが重要かなと思います。

だから、海城生もおバカなことをたくさんしてほしいですね。いろんなことをできるのって若くて元気でおバカだからだと、今さらながらにして思うんですよね。例えば、留学ひとつにしても、下手に賢いとできないと思うんです、いろいろと考えすぎてしまって。何か一歩踏み出すには、おバカ精神がないとできないと思うし、何か踏み出すとはそういうことだと思うんです。だから、その精神でいろんなことに挑戦してほしい。新大久保という立地も含めて、そのための環境が海城にはそろっている。この学校で使える資源は使いまくった方がいいと思いますし。僕も毎月のように、いろんなことをしていた気がします(笑)。

僕自身については、古本屋としては、現在、千葉県のいすみ市で経営難に陥っているいすみ鉄道を古本の寄付で支える『い鉄ブックス』というプロジェクトに取り組んでいます。開始から2年経ちまして、4万冊以上の寄付をいただいています。古本もいま、買取から寄付へという時代。本を社会的に活かしたいという流れがきていて、古本×寄付という可能性を追求している真っ最中です。まちづくり財源をみんなでつくろうという取り組みも進めていて、助成金、補助金に頼らない地方創生は目指したいところですよね。それに、いまは、都市部に人が集まりすぎていると思うんです。自分自身、東京で埋もれていて、島根の現場でいろんなことを学ばせてもらって今があるという経験をしているので、地方で自分の可能性を追求したり、いろんな経験値を得てほしい。だから、みんながもっと自由に地方と都市部を行き来できる社会というのは自分自身が目指す社会像なのかなと思っています。地方は飢えて死ぬことはないですしね(笑)。

尾野 寛明

社会起業家
有限会社エコカレッジ代表取締役